レイプと欲望の否定


ちょっと時間がないので完全なメモだけですけれども。


沖縄での米兵によるレイプ事件について、ネット上でも(それ以外でも)色々と議論が起きているようです。わたくし、この問題には何となく口を挟みにくい気がしていた。Macskaさんがここのコメント欄で述べていらっしゃることと、理由はまったく同じ。

少女に対する性犯罪をきっかけに日本本土におけるメディアの扱いや世論が沸騰するあたりは、少女の性を日本植民地主義と米国植民地主義で取り合っているだけのような気がするので距離を置きたいと思っています。そうなるまで沖縄の人たちがどれだけ負担を押しつけられているのか気にしようともしなかったのに、こういう事件があったときだけ大騒ぎするのはおかしいし、普段は性暴力について何も考えていない人が、加害者が米軍兵士だった場合だけ大騒ぎするのもおかしい。


沖縄の負担について考えないわけではないけれども、積極的に何かをしてきたわけではない。性暴力について考えないわけではないけれども、目につくあらゆる性暴力について発言するなりして行動をしてきたわけではない。そのようなわたくしが、この事件に限って食いついて何かを言うのは、我ながらあまりに下品だと思えて、ひるんでしまう。


反面で、そうこうするうちに、最初からそういうためらいをはるかにすっ飛ばした、「被害者も悪いよ論」がネット上のみならず新聞(といっても産経だけど)でも出てきているようだ。さらに言えば、

この中で、高村外務大臣は、「事件は、きわめて遺憾なことで、日本側で法と証拠に基づいて、きっちり対応する」と述べました。そのうえで「外務省の北米局長からアメリカ側に対して、綱紀粛正と、二度とこうしたことが起きないよう申し入れた。国民感情からみて、日米同盟に決してよいことではないので、影響をできるだけ小さく抑えるようにしたい」と述べました。(2月11日のNHKニュースによる。キャッシュしか見えませんでしたが、こちら


というように、被害女性の人権よりも日米同盟優先という立場を公然としてためらわない発言が政治家からも聞かれて、しかもその発言が失言として大きな問題になった様子すらなく(その意味では、その点を指摘したアジア女性資料センター等による抗議文は、大切な事を言っていると思います)、そのような発言に対しては、やはり批判をしなくてはいけない、とも思うわけで。(政府の対応として、一女性の被害より日米同盟優先なのは、わかりきっている。それが「現実的な対応」というものだという人がいることも、わかっている。けれどもそれは正しいことではないし、だから政治家がそれを平然と口にすることを許してはいけない、とわたくしは考える。そもそも外交における交渉術としてそれがもっとも巧妙であり妥当であるのかどうかも、怪しいものだと思うし。)


そして、たとえば「抵抗して怪我をしたわけでもないようだけど、本当にレイプ?」「自分でついていったんじゃないの?」というような非常に下劣な主張に対する当然の反論の中に、「でかいオトコに脅されたら抵抗なんかできるものか」「いつもレイプの脅威にさらされている沖縄の女性のように自分もレイプの脅威にさらされてみろ」といような見解がちらほらと見受けられるのも、微妙に気になっている。


ということで、事件そのものについてではなく、事件をめぐっての発言について、なぜいまさらこんなことを言わなくてはいけないのかと思いつつも、馬鹿正直にあらためて一言だけ書いておきます。同じことを書いている方ももちろんたくさんいらっしゃるわけですが、なんというか、発言数を増やす、みたいな<無意味。


1.体が大きくて力も強いような駐留米軍兵士に脅された結果であろうと、自分とたいして体格も違わないような近所の幼馴染の恋人とみずから進んで一緒にホテルに入った結果であろうと、本人が望まない様態や程度の性行為を強要されれば、それはレイプだ。「抵抗できなかったかもしれない」「だまされてついていったかもしれない」というのは事実かもしれないが、それよりむしろ、抵抗したかしなかったは問題ではない、自発的についていったのかいかなかったのかも問題ではない、と言いたい。


2.沖縄の女性が駐留米軍によってレイプの脅威にさらされているということも、事実かもしれない。ただ同時に、とりわけ「沖縄在住の女性」ではない人間がそのような「脅威」について語るときに、意識的ではないにせよ、「駐留米軍兵士」と「沖縄の女性」の間に、襲う/襲われるの関係だけを前提としていないだろうか、それが少し気になる。Macksaさんのおっしゃる「少女の性を日本植民地主義と米国植民地主義で取り合っている」というのは、まさしくそういう状況をも含むものだろうと思う。


「沖縄の女性」の中には、米軍兵士を積極的に性愛や欲望の対象として考え、その欲望を追求しようとする人もいるだろう。そして、その人たちの欲望の形態が沖縄の米軍駐留を正当化するわけではない反面、米軍駐留の不当さをもってその人たちの欲望の形態を否定することもできない。もちろん、そのような欲望の形態とその追求がその人たちへの米軍兵士によるレイプを少しでも正当化することには、ならない。

レイプの犯罪性は*1、女性の側の欲望の存在(あるいはその可能性)をあらかじめ否認した上ではじめて成立するものでは、ない。逆に言えば、女性の側の欲望の存在を否認した上でなければ成立しないようなレイプ批判は、ある意味で批判対象と同じロジックに足を踏み入れているのだ。


当たり前のことですけれども、何度でも確認しておきたいと思います。

*1:ここでは女性に対するレイプについて話をしているけれども、男性に対するレイプであってもそれと同じことは言える