「性的マイノリティと教育」イベント雑感

YOUTH TALK 性的マイノリティと教育

参加してきた。大変な人で会場は立錐の余地もないといえば大げさかもしれないけれども、一度椅子に腰をおろしたらもう動けないくらいの状態。

3人のゲストのうち、CGSという「場」をつくった経緯について語った田中氏の話には興味をひかれたし、障害児教育の経験から性教育(身体的なことについて、自身や他者の尊重について、社会的な側面について)の重要性について述べた石坂氏の話も説得力があった。

ただ、福島氏の話はやはりあまりにもジェンダー差別(そもそも氏がこれを「女性差別」と繰り返すので気になって仕方ない)に特化していて、「性的マイノリティと教育」という問題を語っているようでいて、それをバックラッシュや「女性差別撤廃」、「慰安婦問題」や「国家/国旗強制」にあまりに簡単に組み込んでしまっていたのが、残念だった。もちろんそれらは互いに全く無関係ではないだろうが(ヒント:戸籍)、それらの問題に取り組んでいるから「性的マイノリティと教育」という問題に取り組むことになるとは一概には言えないし、多くの場合に実際にそうは言えなかったはず。それらが政治的課題としてつながっていると考えるなら、福島氏個人としてでも良いので、「どういう理由でどのようにつながっていると考えるのか、そしてそれに対してどのような政治的な対処が考えられると思っているのか」ということを話して欲しかった。そもそも、バックラッシュに対抗するために「女性差別に取り組む」必要を主張した上野氏が、まさにその主張において「性的マイノリティ」にかかわる教育には二次的な必要性しかないと述べたことについて、福島氏はどう考えるのか。

まあ、おそらく忙しくてそんなことまでご存知ないのだろうし、それはそれで仕方ない部分もあるのだろう。それならその場でそれを福島氏に伝えれば良いのだろうが、ちょっとその手のガチな話はしにくい雰囲気。イベントの主役は「若者(ユース)」であるわけで、主役をさしおいて色々言うのもどうかなと微妙に気が引けて、沈黙。

ユースも、明らかに状況をわかっていない政治家が前にいるわけなので、せめて「こういうことは政治的にはどう解決したいと思うのか」「こういう問題があるのだが」ということをもっと伝えればいいのに、とも思う。勿論そういう意見も出ていることは出ていたのだが、何となく気分として「こうやって集まれてちょっと感激です」みたいになってしまう部分があって、そちらに向かってしまうとディスカッションをするのは難しくなるのではと危ぶんでいたら、実際にそうなってしまった。

しかし、だからイベントとしてダメなのかというと、そういうものでもない。

勿論、たとえば司会が質問やコメントに対して微妙にずれてくる福島氏の発言などに対して、聞き直したり修正したりしながらディスカッションを進めていくという方向もあるのだろうが、あの場で望まれていること、やりたいことはおそらくそれとは違っていたのだろう。

わたくしなどからすると、せっかく政治家を呼び教育関係者を呼んでいるのだから、伝えること、尋ねること、議論することなどは色々あるだろうと思ったりするわけなのだが、そうではなくて、こうやって集まりがあって嬉しいな、という気持ちを分かち合ったり、こういうことが言えなくてつらかったよね、そうだよね、と確認しあったり、それを通じて知人をつくったり、このイベントの目的は、そちらにあったと思われる。「ユーストーク」の「トーク」というのは、おそらくディスカッションではなく感情のシェアリングということなのだ。

そのようなつながりと分かち合いの場ができるように設定された共通の話題として「性的マイノリティと教育」というテーマがあると考えれば、そしてそれはそれで十分に意味のあることであり、実際にあの場に来ていた若者の多くは、それこそを求めていたのだろう。イベントの後で話した知人が「あれは要するにコミュニティですよね」と言っていたのだが、まさにそういうことだ。

共感に基づくそのようなコミュニティが好きかどうか、あるいはそのようなコミュニティの限界や危険性はどうなのか、というような話はまた別にあるとしても、そのようなコミュニティが何らかの形でどこかで必要な人間というのは少なからずいるだろうし(わたくし自身も含め)、それを提供したという点においてこのイベントは十分にその目的を果たしたということになる。

遅れて入ってきて他のゲストのトークも聞かず、ディスカッションもほとんど聞かないうちに、「性的マイノリティと教育」というテーマにきちんと接続しようという努力もせずに、一般論として「私は若者の味方なのです」と言うのがテーマに違いないと思われるような「挨拶」を延々と続けた保坂氏に、わたくしはかなりげんなりしたのだが、それでも、氏が最後に言っていた「物理的に集まることの重要性」という点には、そういう意味で、賛成できた。*1


残りいくつかメモ。

1.専門学生と研究者でないと立ち寄りにくい「研究所」にならないよう、一般学生が時間をすごせるラウンジのような「場所」を確保しなくてはならない、という田中氏の見解に、心から納得。しかし、大学では意外に難しい気がする。そうそう簡単に部屋をもらったりできないだろうし、ICUの規模で10年近い準備期間が必要だということは、大規模大学になるとますますややこしそう。そのあたりで何をどうするかという経験や戦術のシェアリングを考えるべきだろうか。

2.大学での教職課程において性的マイノリティについても教えるべきではないかというような話がいくつか。それはそうかもしれないのだが、それは「教職課程」に限定すべきことなのか、「性的マイノリティ」に限定すべきことなのか、というところも考える必要がある。
個人的には「教職課程」に限定することというのは、大きく見ると大学教育を職業教育として「使える教育を」という要請の流れとつながっているような気がするし、その流れの中では、下手をすれば経済学部ではそういう授業はいらない、理学部ではそういう授業は関係ない、ということになりかねない。むしろこの問題は、学生が将来の進路、就職とは無関係に思える「役に立たないかもしれない」様々な視点や思考方法に触れることを要請する、基礎教養教育の充実とからめて考えて欲しいと思う。

3.地方間格差の問題。東北からの参加者が、東京とは情報伝達の度合いが全く違う、と。インターネットへのアクセスがかなり広まったとはいえ、ネットにアクセスして情報をチェックする人の年齢や職業などによる分布はかなり偏っているだろうし、情報格差というのは確かにあるのだろう。
同時に、それがたとえば福島氏が示唆していたような、男女共同参画センターなどを使って勉強会をする、というような形で解決するべきものなのかどうか。ゲイリブ関係の運動だったかで、東京で有効な運動の方法を地方に持っていった時に全く機能しないどころか、逆効果になることがあるんですよ、という話を聞いた事がある(これは Halberstamがアメリカについて考察していることともつながると思う)。同じ意味で「参画センター」などで中央からの一律情報発信がどのくらい有効なのかなあ、と。

4.配布されたレジュメの「提言」の中に、性的マイノリティを保険や家庭科の中でとりあげる、というのがあったのだけれども、確かに現状それがもっとも容易そうだというのはわかるものの、そこに最初から絞るのは賛成できない。それこそマイノリティに関する問題のある種のゲットー化ではないのか。同様に、カウンセラーや養護教員が性的マイノリティへの知識を持つように、というのも、それはそれで重要ではあるものの、そこに限定してしまうのは、学校にとっていわば免罪符にならないだろうか(大学だとなりそう)。さらにいえば、そのことが、そもそもそれほどの力を持っているとは思えないカウンセラーや養護教員に、教職員会議やPTA、さらには教育委員会を含む「学校当局」への必要な説得の責任をすべてかぶせてしまうことにならないか。外部相談機関の充実というのが、現状でわりとすぐに可能そうで、しかも効果がありそうな気がするけれども、そうでもないのだろうか。

5.ちなみに、同じくレジュメで、「ストレート」が異性が好きで医学的に与えられた性別と自認が一致している人、という定義は、微妙。「バイセクシュアル」が男性も女性も好き、というのも個人的には賛成しないけれども、まあこれは当面仕方ないのかな。

*1:しかし政治家(政治家予備軍である石坂氏を含め)が3人揃って遅れてきたというところに、そういう世界なのかな、とちょっと驚愕。もちろんただの偶然で、本当に抜き差しならない緊急事態がそれぞれ起きてしまったということなのかもしれないが。引き受けたからには時間通りに出る、というのは、わたくしのような暇な人間の世界だけの話なのかも。追記:下のコメントで、これは、ゲストに対してイベント日時の変更連絡をするのが遅れたかららしいですよ、と教えていただきました。もともと空けていらした日時と変わってしまったので、調節が難しかった、ということでした。それは仕方がないですね〜。政治家ってなるべく多くの場所をまわる必要がありそうだから、1箇所のフル出場(って何だろう)はあまり重視はしないのかしら、と少し残念に思っていたのですが、そういうことではなかったのですね。良かったあ。