「戸締まり」の比喩のあやまち


もう一つだけ、今更で当たり前のことを。
この件で、はてな匿名日記のこの流れや、それについたブックマークなどの周辺書き込みを見ていて、まだこの比喩がちらほらと用いられることに正直うんざりしたので。


たとえば、ここのこの記述は、ある程度までは正しい。

戸締りをしてなくて窃盗にあうという例がよく防犯の例として挙げられるけど、そういう意味では、性犯罪を犯そうとしている相手にとっては、女性は女性であるというだけでみんな戸締りをしていない家なのだ。


でも、この表現が可能になるためには、「性犯罪をおかそうとしている相手にとっては」という条件が絶対に欠かせない。さらにその条件の上にたってもなおかつその記述の正しさは、「押し入り強盗をしようとしている相手にとっては、窓に鉄格子をはめていない家は/警備員が常住していない家は、すべて、戸締まりをしていない家なのだ」という程度のものでしかない(この匿名日記の著者はそれを分かって書いていらっしゃると思うけれども)。


「戸締まりをしていない家」の比喩を支えるのは、女性身体、より正確には膣を、基本的に侵入に対して開かれた物とみなす発想だ。けれども言うまでもなく、膣は、たとえば口がそうでないように、鼻孔がそうでないように、肛門がそうでないように、それ自体として異物の勝手気ままな侵入に対して開かれているわけではない。


加害者が100%悪いのは当然として、女性の側も強盗にあわないように戸締まりをしておこうよ、という表現をする人は、例えば道を歩いていていきなり異物を口に押し込まれたら、「こんな街中で唇を固くひき結んでおかなかった自分も不注意だった」と思うのだろうか。むかしあった子供の遊びのように、いきなり後ろから「浣腸!」と異物を肛門に押し込まれそうになったら、「自分の肛門が戸締まりされていないからって、勝手に押し入るのはひどい」と言うのだろうか。


個々の女性が自衛策を取るか否か(あるいはどの程度までの自衛策をとるか)とは全く無関係に、女性身体は、少なくとも男性身体がそうであるのと同程度において、既に戸締まりをされている。どのような状況下で行われたものであろうと、強姦とは、戸締まりされていない家に招待されずに上がり込むことではなく、鍵を壊し窓を破って家に侵入することに他ならない。