すべきことは多いけれども自分にできることは少ない

というより、何かをやろうと思うと時間がなかったり能力がなかったり最悪気力がなくなったりするわたくしが悪いのですが、アカデミックにもそれ以外でも課題は山積しているにもかかわらず何一つ効果的に仕事ができない今日この頃でございます。登校時に耳鳴りがすることとか、教室に入ると学生さんの「ニンゲンノニオイ」で一瞬文字通り気が遠くなることがあることとか、明らかに心因性と思われる「わたくしのカラダの右腕だけがケダモノクサイ」という感覚とか*1、もしかしてちょっとここのところ、そもそものつくりがヘタレなわたくしの何かが綻びかけているのではないかしら?等と思ったりしますが、そんなことは仕事のできない言い訳として認めてもらえない世の中です。というより、カラダは異常に丈夫ですし。というより、最近職場が変わったのですが、それから数ヶ月で5キロ太りましたし。ストレス太りなのよ!とは思うのですが、我ながらますますふくぶくと健康そうに見えます。外見にだまされてはいけない、と、自分に言い聞かせる毎日です。よくわかりませんけれども。
そんな中、知人に「いったいあのブログは更新する気があるのかないのか」と言われてよくよく心の中をのぞいてみますと、いつかは更新したいという意欲の萌芽はまだ残存しているらしいので、とりあえず何か更新しておくことにします。
効果的に仕事ができない理由は100万ほども思いつくのですが、そのひとつとして、どっち向いて効果的に仕事をするのが効果的に仕事をしていることになるのか、よくわからないわぁ、という、なんだかマスターの学生さんのようなナイーブな悩みに取り付かれている、ということがあったりします(すみません、マスターの学生さんだっていまどきそんなこと言ってぼ〜っとしたりしてはいないのかもしれませんが)。
たとえば。尾辻さんをOK!って応援するべきかしら。OK!言説の怖さをも話すべきなのかしら。とか。
そもそも大学の教員って何かするべきなのかしら。何かしたらそれは権威的だから何かするべきじゃないのかしら。とか。
女性学会って内側から立て直すべきなのかしら。それとも先人を見習って(なんじゃそりゃ)出て行くべきなのかしら。とか。
学生さんにフェミニズムとかクィア理論とかちゃんとポリティカルに教えるべきなのかしら。それともそんなこと教わっても迷惑そうだから人文系の院生さんのニーズにあわせてフェミニズム理論とかクィア理論とかの脱政治化バージョンを基礎教養として地味に教育するべきなのかしら。とか。
アカデミックにフェミニズムクィアスタディーズを制度化していくのって制度化さえ不可能なよりはましなのかしら。それともそれって方向自体が大間違いなのかしら。とか。
っていうかわたくし、ご立派なアカデミアの中で(あるいは中から)ヒト様にモノを教えたりするほどモノゴトがわかっていないので、後20年くらい一人で気楽に勉強していても良いように、宝くじでも当たらないかしら。とか(違)。

*1:実際にニオイが感じられるのですが、他の人に試してもらったところ(もらうなよ)、そんなこた〜ない、らしいので