アイデンティティ・(ノン)ポリティクス
さすがに前回のエントリだけでまた数ヶ月放置では、時折見に来てくださる方々にもあまりにも申し訳が立たないので何かを書きたいのですが、かといって書けるほどのネタも見つかりません。あ〜人生ってたいへん。というわけで、先日参加した国際学会についてのレポートです。学会そのもののレポートというより、学会に参加しての感想文、ですが<学生のレポートで出てきたら即却下ですわね。
わたくしが参加したのは、基本的に東アジア圏におけるクィア・アクティビズムやディスコースについてのパネル。そもそもアジア圏の学会だったこともあり、そこそこ人も入り議論もあって、まあ成功だったと言ってよいように思う。
パネルを組んだ時点では、英米(というより主に米国)大都市圏からのトランスローカルな影響による不可避な反省性/再帰性が、東アジアのクィア実践においていかに現れてきているのか、またそのような反省的/再帰的な実践がいかにインターリージョナルに相互に影響しあうのか、その二重性の実践がグローバリズムとナショナリズムの双方に介入していく可能性がどこに見出せるのか(あるいはそもそも見出しうるのか)、というようなことをテーマにしましょう、ということが目的だった。
もちろん実際には、「そのテーマは今後継続課題ということで」という、学会パネルにありがちな尻つぼみぶりが発揮され、わたくしのものを含めそれぞれかなりずるっと縮小した発表になってはしまったのだけれども、ただ、そうやって各発表者が微妙にひよって身の丈程度の発表をしてみたところ、まったく意図していなかったのに、わたくしの発表と香港の研究者の発表とがまったく違う題材を扱いつつも非常に良く似た問題意識によるクィア・ディスコースの分析を行っており、さらにそれに対して会場参加者からも他の地域についての類似した考察が聞けたりして、予想外に面白いことになった。
わたくしの発表は、直接には伏見憲明氏の新著『欲望問題』を扱い、非規範的セクシュアリティの承認要求がネオ・リベラリズムな脱「政治」化要請との親和性を持つのではないかという問題提起を試みる、というのが一応の趣旨。「承認要求」と、マーケットの、あるいは国家の要請との問題含みの関係というのは、クィア理論の初期から繰り返し考察されてきたもので、いまさら何一つ目新しいことはないのだけれども、それにもかかわらず、じゃあ解決されているのかと言えば解決されていないことでもあり、だからやっぱり馬鹿の一つ覚えの様であっても時折繰り返さなくてはいけないのだろうと、わたくしは思っている(<自己正当化)。さらに言えば、今回の発表では時間的・能力的な制約のために触れることができなかったが*1、わたくしにとってはこれは伏見氏の新著に限定されるものではなく、たとえばそれこそ以前にコメント欄でYu-uさんが指摘なさっていた一種のアカルイ運動みたいなものへの直感的な警戒の念とか、「運動のわかりやすさ」とか「説得力」とか「効果」の問題が唱えられる時に感じる不安とか、そういうものともつながって、今この時期の日本にあっては、結構クルーシャルでアクチュアルな問題であるように思う。この問題設定のあまりにも漠然とした感覚性というのか、それが心の底からアカデミックではないなあ、と今書いていて思ったりはしたけれど、まあそれはそれとして。
わたくしの発表と重なる部分があると感じたのは香港のクィア・アクティビズムについての発表で、こちらは明確なキリスト教原理主義を背後にして非規範的ジェンダー/セクシュアリティへの攻撃が近年激しさを増しており、それに対抗する戦略を模索していく中で、LGBTQポリティクスの脱政治化、あるいは言葉は悪いけれども一種の「同化戦略」が進んでいることへの危惧に裏打ちされたものだった。この発表自体は香港のアクティビズムの多様性をくみ上げきれず、香港におけるLGBTQアクティビズムがみんな同化戦略へと吸収されているかのような分析になってしまっている、という批判もあるようだったが、少なくともそのような傾向が目立つようになっているという点については特に反論は出ていなかったように思う。興味深いのは、このようなある種の「バックラッシュ」のもとでの承認要求が、ラディカルな「政治色」を抜き取ると同時にコマーシャルなマーケットとしての「ゲイ」という集合体を維持する形で行われていることで、このようなアイデンティティ・(ノン)ポリティクスのあり方は、もちろんすでに英米のクィア・スタディーズにおいても問題視されてきたことでもあるのだけれども、とりあえず現時点で日本のそれと非常によく似た動きをしていることには、注意を向けておいてよいのではないかと思う。
もう一人、今回のパネルのモデレーターでもある別の発表者は、ちょっと前から、アジア圏のクィア・スタディーズやアクティビズムが、言語上も、従来の研究の蓄積や運動・理論への影響関係の上でも、好むと好まざるとに関わらず英米(とりわけ米国)経由で対話をする状況があることをとりあえずの前提とし、たとえば共通言語が英語であるという事実を(これまたとりあえず)一端受け入れた上で、アジア各地の運動の経緯や実態、言説や理論が相互に直接参照しあうような理論的枠組みを考えようとしていて*2、その線での発表。実はわたくしはこの人の主張のアクチュアリティを余り切実に理解していなかったのだが、今回のパネルを通じて、これは考えてみるべきことなのかなあ、とちょっと反省した。どういう形が取れるか分からないけれども、その方向で幾つかの国や地域にまたがったアカデミックなプロジェクトを組めればいいねえ、などと夢物語をしあって、その時はちょっと楽しかったです。帰国して日常生活の忙しさがはじまってしまうと、なんだかもう、そんなことできるの?みたいな気分にもなったりするのですが。