潜在的可能性としてのコミュニティー、あるいはconjuntoさんに感謝を込めて

conjuntoさんがブログを終了なさるそうだ。
ここを訪れて下さる方ではご存知の方も多いのではないだろうか。スペイン人の同性パートナーSさんとの生活の中で見えてくる様々な困難や問題点、そして何よりも喜びを、一つ一つ丁寧に、見落とすことなく、ほぼ二年に渡って綴っていらした。わたくしは、自分では落ちちゃったり忙しかったりしてブログをかけない時でも彼女のブログは殆ど拝読していたし、そのたびに助けられ、励まされてきた。
conjuntoさんは、わたくしがブログというものを始めたころに最初にレスポンスを下さった方の一人でもあり、どよどよして更新を怠っていた後にえいやっと復帰すれば、必ず「お帰りなさい」と声をかけてくださる方でもあった。わたくしの口が(手かしら、ブログだし)先走ってブログ上で議論になって自分の考えの整理がつかずに混乱している時に、御自分の視点からの的確で浮つかない考察を寄せてくださったことも、何度もあった。それがどれだけ有難かったことか。
わたくし自身は同性パートナーがいるわけではないけれども、自分のセクシュアリティの理解の仕方、[ ]などの点で、一方的ににconjuntoさんに共感し、[ ]ブログを拝読していた。
[ ]という中で、わたくしはブログを書き始めた。最初はそういう自分の状況を書こうと思ったわけではなくて、むしろそういう日常から逃避して、折々に抱くどうでも良い感想を余り人の目に触れないところできわめて適当かつ無責任に垂れ流していこう、くらいの気持ちだった。
それが、conjuntoさんにコメントを戴き、あちらのブログも拝読するようになって、明らかにわたくしの中で何かが変わっていったように思う。ものすごくこっぱずかしい表現なのだけれども[ ]それに少しずつ気が付いていった、というのが一番的確なような気がする。
何を今更、てなもんだとは思う。ジェンダー理論とかセクシュアリティ理論とかをやっていれば、そういう話はごろごろ出てくる。「自分ひとりがそう感じていたわけではないとわかって嬉しかった」「他にも同じような経験をした人がいることがわかって救われた」、そういう話はそれこそもう枚挙にいとまがないくらい目にしていたし、わたくし自身、自分のセクシュアリティについてそういう経験を繰り返してきた。
けれども、セクシュアリティについての自分の経験を理論化し、言語化し、それと折り合いをつけていく過程のどこかで、わたくしは、[ ]
自覚的で意識的な選択としてフェミであったからこそ、自分の直面する事態に直接こたえてくれるようなフェミの運動なり主張なりに出会えなかったとしても*1、それならそういう方向にフェミを広げようとか、ああいうことをフェミに主張されると困るとか、そう考えることを避けていたのかもしれない。むしろ、「これはフェミの問題ではない」、そう思っていた。[ ]は自分のフェミ性とはちょっと切り離しておこう、そういう逃げがあったのかもしれない。
同様に、散々迷ってとりあえず自分のセクシュアリティと折り合いをつけたからこそ、LGBTQの運動や主張が[ ]見えても*2、それもやはり当然のことであると思っていた。こういう話は別に「LGBTQの問題」ではないな、と。だって、[ ]と。
勿論、自覚的にそういう判断をしようと決めていたわけではないし、自分がそういう風に振舞っていることに気がついてすらいなかったように思う。conjuntoさんのブログに出会うまでは。
そして、彼女のブログに出会って、少しずつ気がつきはじめたのだ。自分がどれだけ心細かったのか。どれだけ孤独に感じていたのか。どれだけ見棄てられたような気持ちになっていたのか。
いや、要するにアタマでっかち(というほど大きくもないのが最大の問題なのね、きっと)の研究者が、「自分の言ってることと自分の感じてることがすっごいずれてきてるよ!」ということに、そして、「自分が学んだことを全然自分で生かせてないよ!」ということに、なかなか気がつきませんでしたよ、馬鹿ですね、というだけのお話なのですけれどもね。
そう、[ ]どれほどの支えになるものなのか、理解も経験もしていたのに、わたくしはその感覚を忘れていた。そして、それを思い出していくにしたがって、その支えを背後に感じながら、[ ]わたくしだけの個人的で特異な問題、ちゃんとしたフェミやLGBTQの運動や考察の雑音になるような問題としてではなく、他の人たちにも共有されうる問題、フェミやLGBTQの文脈で多様な広がりとつながりを持ちうる問題として。
言葉を変えれば、[ ]わたくしはconjuntoさんという「コミュニティ」に出会い、その出会いを通じて、自分の「個人的なこと」を、他者への接続可能性を持ったものとして、より広い文脈の中で考えるようになったのだ。
わたくしは実際に彼女にお目にかかったことはないし、彼女と言葉を交わすのもブログのコメント欄に限られていた。ウェブ上で何かの運動なり「友達の輪」みたいなものなりを共有していたわけでもない。もちろん、彼女のブログには多くの読者が集ってはいたけれど、その読者同士に何らかの交友関係があったとしても(あったのかどうかわたくしは知らない)、わたくしはその中にはいなかった。ブログ上のやりとりを除けば、わたくしは彼女のことは何一つ知らないし、彼女もわたくしのことは何一つ知らないだろう。おそらく、わたくしがconjuntoさんと共有できる経験なり感情なり人生における目的なりは、共有できないものとくらべて、はるかに少ないだろう。そういう相手を、そしてたった一人の人を、「コミュニティ」と呼ぶのは、奇妙だと、自分でも思う。
それでも、言葉の誤用を承知の上で、彼女はわたくしのとって「コミュニティ」だったのだ。そして、こじつけを承知で言えば、それこそが「コミュニティ」の根幹にあるものなのではないだろうか。
自分と同じ「仲間」がいるということではなく、自分の経験や感情と何らかの点でつながる経験や感情を持つ人がいるということを通じて、孤独と断絶を超えて、どこかその先にいる誰かへと遠くつながっていく可能性を信じさせてくれること。自分がここで経験している、こういう喜び、こういう苦しみ、こういう悲しみ、こういう希望に、どこかで誰か気がつき、反応し、共振してくれる、そしてその共振が、少しずつずれながら、さらに遠く広い振動に続いていく、その可能性に賭ける勇気を与えてくれること。そういう、いまだ自覚されない接続可能性を可能性として自覚させ、いまだ存在しない接続可能性に可能性としての存在を与えること、究極的にはそのような他者への接続の潜在的可能性の場こそが「コミュニティ」なのではないだろうか。
少なくとも、[ ]。conjuntoさんという「コミュニティ」の支えがなければ。そして、そこからそのような接続可能性の希望を受け取らなければ。
conjuntoさんがまだネットにつなげていらっしゃるかどうか、ここをご覧になるかどうか、わたくしには分からない。けれども、彼女がここをご覧になるにしてもそうでないにしても、直接きちんとお伝えできなかった感謝を、ここに書き残しておきたい。
本当にどうもありがとうございました。あなたから二年にわたって、とてもとても大きな支えをいただきました。それを忘れずに胸にしまって、わたくしも進んでいこうと思います。いただいた支えのほんの僅かでも、わたくしの先のどこかにいる誰かに伝えられるように。
Sさんとの新しい人生のステージが素敵なものでありますよう。行っていらっしゃい。

*1:なかった、と言うわけではありません。わたくしがたまたま出会わなかった、ということです

*2:これまた、実際にそうだということではありません。[ ]