あなたがそこにいてくれるかもしれないから

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結局のところ、法律上の性別と解剖学上の性別(少なくともわかっている限りで)に矛盾がなく、社会的な「らしさ」の規範にもそこそこ合致しており、異性の人間とモノガマスに近い関係を持っているわたくしに、このブログに書かれている気持ちがそのまま分かるわけは勿論ないのだけれども。
そういうわたくしで「さえ」、しかもわたくしの場合は専任の教員という立場で守られているのに*1、それでも、ジェンダーセクシュアリティの授業で話をするたびに、わたくしも、彼がいたその場所に(あるいはそれと地続きのどこかに)、いる。緊張し、無知や拒絶あるいはその予感に憤り、理解とつながりとの試みに心を震わせ、その試みが失敗に終わる可能性に怯え、挑発的になり、支えをもとめ、片足を感情を抑えた論理に乗せ、もう一方の足を論理に従わない感情に踏み入れて、その間で絶望的なバランスを探りながら。
ジェンダー論」を教えるフェミの大学教員、「セクシュアリティ論」を教える非・ジェンダーセクシュアリティストレートの大学教員で、そういう経験をしている人は、結構いるのではないだろうか*2
人文系の教員であるわたくしが授業で何より伝えたいのは、「これはこうでなくてもいいのだ」と言う、ほんの少しの視点の移動、「これは自分のことでもあるかもしれない、ありえたかもしれない」と言う、ほんの少しの想像力、「ちょっとだけこちらの方向に考えをすすめてみよう」と言う、ほんの少しの勇気だ。
けれど、「こういう人たちってちょっと受け付けない」と言ったあなたに、わたくしが「こういう人たち」であることを言ったら、わたくしが伝えたいことをりよく伝えられるのか、それともあなたがその「ほんの少し」の可能性に気がつく前にわたくしを「受け付けなく」なってしまうのか、わたくしにはわからない。「あんたが受け付けなくてもあんたのまわりにそういう人ってごろごろいるわよ、この差別馬鹿!」と思ったとしても(ええわたくし未熟ですから、場合によって学生相手でも本気でそう思ったりします)、そう口に出して言ったら、あなたはそれ以降わたくしの授業から何かを学ぼうとは思わなくなってしまうかもしれない。「あなたが受け付けるか受け付けないかは問題ではない」と理詰めで話をしていったら、あなたは恥をかかされたと思うだけで自分の発言の重みを本当には感じてくれないかもしれない。自分が「ストレート」でないことを言ったら学生は「あの先生はああいう人だからそう思うんだよね」としか受け止めないかもしれない。自分が「ストレート」でないことを言わなかったら学生は「ああいう人」を永遠に教材の対象としてしか考えないかもしれない。
どこで、どこまで、何を、どう見せるのか。「こういう人たち」は基本的に自分の人生とは関係がないと思っている相手に何がどういう効果をもたらすのか。週に一度一時間半顔をあわせるだけの学生たちに対してそれを見極める能力は、わたくしには、残念ながら、ない。そして、誰かが「こういう人たちって」と言い始めるたびに、わたくしはいちいち憤り、不安になり、戦略に確信がもてずに混乱する。
本当は、ジェンダー論をやり、セクシュアリティ論をやる以上、自分にはフェミニズムはいらない、自分とセクシュアル・マイノリティとは全く無関係、そう感じている学生にこそ、何かを伝えなくては意味がないのだろうとは思う。それができなくては、大学の教員としての仕事ができていないのだとも、思う。けれど、

話をしていると、自分が教室のどこかにいるであろうゲイやレズビアンに向けて話をしていることに気がついた。マジョリティの立場を考えて話をする姿勢はなかった。

わたくしもまた、不安と混乱のたびに、教室のどこかにいるかもしれない、フェミニズムにつながる疑問や息苦しさを感じている学生、そしてLGBTQの学生にむけて、話をしてきたように思う。わたくしが教室で話を続けることができるのは彼女達がいるかもしれないと思うからであり、彼女達の存在の可能性がわたくしを支えてくれているのだと思う。だから、結局わたくしは、「この話は/この先生は、自分とは関係ないや」と思う学生が出てきてしまう危険をおかして、わたくしはフェミよ、わたくしはストレートじゃないわよ、と言ってしまうことになる。おそらく、わたくしは彼女達に最低限これだけは伝えなくてはと思っているのだ。わたくしはあなたとは違うし、あなたと考えていることも感じていることも違うだろうし、あなたはわたくしの言うことに全く賛成しないかもしれないけれども、わたくしはあなたがいることを前提としてここで話をしているよ、と。彼女達がそこにいてくれるかもしれないことへの、僅かばかりの返礼として。

*1:少なくとも今のところ、日本の「大学」で「専任」(非常勤や年限のある契約ではない、いわゆるテニュアのポジション)に一度ついてしまえば、犯罪でも犯してつかまらない限り、クビにされることは非常に稀だと思う。女性だからとかセクシュアル・マイノリティだからとか、あるいは特定の主張をしているからとか言う理由で、居心地が悪くなったり嫌がらせを受けたり、そういう例はいくらでもあるけれど、で、それはそれで非常に問題ではあるけれども、少なくともそれを理由にいきなりクビで明日から食べていけないっていうのは、ほとんどないと思う。少なくとも、わたくしの周囲では、聞かない。今は、まだ

*2:「大学の」教員、あるいはそもそも「教員」に限らないことのようにも思うけれど、とりあえず自分の経験のある範囲で