余計なお世話(みんな揃わず、小さい声で)

完全な脊髄反射です。と、最初に逃げをうった上で、Gordias(星が出せない)のこちらのエントリ

大学に隔離されていると、このような意見がどのくらいの分布をしているのか、まったく見当がつかない。ジェンダーフェミニズム男性学に関わっている大学人は、この女性に対して、語りかけるべき言葉を持っているのだろうか。

うーん。何というのか。語りかけるべき言葉ってどういう関係の相手にどういうスタンスで語りかけるのかを含めたさまざまな状況に左右されるわけですから、いきなり「語りかける言葉を持っているのだろうか」という設問をたてることにはあまり意味がなさそうだなあ、と思います。
相手が友人であれば、「馬鹿ねーどんな仕事だって一生続くとは限らないよ。身体とかココロとか壊れることってあるんだからね」「っていうかあんた単に身体鍛えた系が好みってだけじゃないよー」とか、言いそうです。というより、ほぼそれに近いことを言ったことがあります。で、おそらく「あんたとは好みが違うのよ!」「っていうかあんた自分の連れが壊れてるからってあたしの彼まで壊れるとか言わないでよ!」とか言われるのだろうと思います。というより、言われたことがあります。
でもまあ、ここでの語りかけるというのはそういうことではなく、「フェミのメッセージ」が伝えられるのか?というようなことなのだろうとは思うのですが、伝わるべき時には伝わるのでは、とかってダメなのでしょうか。「男の子はちゃんと(会社員じゃなくて)肉体労働で稼いで一生お嫁さんを養ってくれないとダメだと思うのー」という女性に対して、真っ先に「それってフェミニズム的には正しくないのですよ。」という方向で話しかけるのがアカデミックなフェミニズムというわけではありません。その女性はもしかしたらそれとは全然違う方面でフェミニズムジェンダー論に心を動かされるかもしれないわけですし、それならそれで良いのではないのかと思ったりします。どうしてこれだけの事でいきなり「フェミニズムにかかわる大学人に語りかける言葉はあるのか(いやあるまい)」になってしまうのでしょうか。
何がいいたいのか、自分でも良くわからないわー、なのですけれども、何か微妙な気分です。おそらく微妙さのゆえんは、ここでの表現が、「自分には」話しかける言葉があるのだろうかではなくて、「フェミニズムジェンダー男性学にかかわる大学人は」話しかける言葉を持つのだろうかという形になっているところではないかと思います。kanjinai氏はフェミニズムジェンダー論と男性学に関わっている大学人という自己認識でいらして、「自分には語りかける言葉がないなあ」という反省を述べていらっしゃる、ということだと理解すればよいのでしょうか。しかしそれにしたって、いきなり「フェミニズムジェンダー男性学にかかわっている大学人」て。広。そんな大雑把に自己反省に巻き込まれても、と、ちらっと思うわけでございます。
そもそも、「ほらね、こういう高卒女性に語りかけるべき言葉がないでしょう大学人のフェミニストは」みたいな言外の含みが感じ取れて(被害妄想)、それってどことなく大学人フェミニストと「高卒女性」の双方に対してパトロナイジングでいやだわぁ、と思うわけなのですが、それがどういうスタンスから投げられているのかが見えにくいので、ますます気になります。この唐突な設問にどういう意図があるのかちょっと裏読みしつつ、どうしてそんな上目線?と思って微妙に萎えるというか(「やっぱりアカデミアのフェミニストって、自分たちでは気がついていないだろうけれど、<普通の女性>の感覚からは乖離しているんだよね。私はそこを見落としていないわけなんだけれどもね」)。ええ、やっぱりただの被害妄想ですけれど。小さい声で言います。余計なお世話。
ご自分の反省の弁を述べただけということであればこちらの被害妄想こそ余計なので、お詫びするしかないのですけれども。