バイセクシュアル?

しばらくぼ〜っとしている間に、パレード関連でバイセクシュアル話が一部で議論になったりしていて、さて皆様何を仰っているのだろうかと覗いてみて、ちょっとびっくり。で、すっごい古い、というか完全に乗り遅れなのですが、いちおう書いておきます。
とりあえず、流れとしては、ここでのひびのさんの問題提起が出発点で、それを受けて玉野真路さんのこちら。さらにそこからmizututaさんのこちらやmaki-ryuさんのこちらに飛ぶ、ということらしい。他にも飛んでいるのかも知れないけれども、フォローしていませんすみません。
まず最初に。過去に何度か書いてもいるけれども、わたくしはヘテロでもレズビアンでもバイセクシュアルでもない。ジェンダーアイデンティティは「オンナ」で、生物学的にも(わたくしの知る限りでは)「女」と分類される身体であるようなので、トランスではない。その上で、通時的に見ればバイセクシュアル、「性的魅力を感じるのはオトコか(<それならキミはヘテロ)オンナか(<それならキミはレズビアン)」ということになら非常に限定された例外(しかも[ ])を除くと「オンナ(<それならアタシはレズビアン)」、はたから見れば生真面目にモノガマスなヘテロ(オトコと暮らしてるオンナ)なのだけれど*1、どれも自分のセクシュアル・アイデンティティとしてはしっくりこない上に、仕事が仕事であり喋り散らす内容が喋り散らす内容なだけに、「当事者のくせに」「当事者でもないくせに」「当事者のふりをして」などと言う誤解や批判も怖いので、「どれでもないよ」と言う癖がついている。
ヘテロ」「びあん」「バイ」どれだと言われても、同じくらいかまわないけれども、同じくらい嫌でもあり。ただ、「ストレート」「ノンケ」(「ノーマル」は言うまでもない)というのは主義主張の問題として、ちょっと拒否。
さらに、わたくしはいわゆる「コミュニティー」というものを(そういうモノがあるとして)全然知らない。知らない人に会うのは苦手だし、とてもじゃないけれどもバーだのパーティーだのでもてる自信もなかったし、それを克服するほど恋人が欲しいわけでも他人とセックスがしたいわけでもなかったので、二丁目にも行かなければウィークエンドも行かない、クラブイベントも行かなかったし集会やパレードにも参加しない、超内向き!超地味!超ものぐさ!という状態で生きてきた。従って、コミュニティの中で、アクティビズムの内部で、どういう対立があり、どういう問題がどう対処され、ということについては、出版物として出回っている、あるいはウェブ上でアクセスできる資料の、さらに一部に目を通してきた程度で、非常に断片的な知識しか持っていない。
で。そのような立場にある人間としては、東京レズビアンゲイパレードという名称は、やっぱり変更できるものなら変更できるといいなあ、とは思っていた。そもそも今回のパレードも、なんとなくみ〜んなすでに友達みたいな状態だったらそこにのこのこ出かけるのは嫌だなあという気持ちを、しかしやはりせっかく復活したのだしわたくしももう良いオトナなのだから沿道からだけでもサポートした方が!という気持ちで押さえつけて出かけていったわけなのだけれど、それに加えて、[ ]とか、応援してるつもりなのに「冷やかしにくんなよば〜か」みたいな目で見られたら悲しいわとか(まるで小学生なみの不安ですね)、レズビアンゲイパレードっていうことはわたくしはあんまり関係ないのかしらとか、そういう小さい小さいどうでも良いような引っ掛かりもないわけではなくて、何だかこう、微妙に行きにくいなという感じがあった。
そりゃあんたの気のせいとか考えすぎとかいわれたらもう全くもってその通りなのだけれども、気のせいや考えすぎを後押ししがちな名称だとも思うのだ。パレードについてのエントリーで書いたように、「主催者の方に決定権があるから文句があるなら自分でやれというのは究極的にはその通りなので、へたれのわたくしには強くは主張できない」のではあるけれども、せっかくの機会なのだし名称が変わったらもっと行きやすくなるだろうとは思う。
というわけで、ひびのさんがパレード名称について仰っていることを最初に拝読した時、その内容にはほぼ同意できたし、わたくしのようなへたれとは違ってきちんと主催者の方に疑問を伝えるというのは偉いなあ、パレードの準備はめちゃくちゃに大変だっただろうに「批判なんかすんなぼけ」とか言わずに耳を傾ける主催者の方も偉いなあ、と、一人ほのぼのとしていた(<駄目すぎ)。
そもそも、レズビアンのコミュニティーでは少なくとも公的にはバイセクシュアルなりトランスなりを含める形で自己規定している団体や雑誌も結構あるのだし*2、日本のコミュニティーについてはわからないけれども、英米の情報から推測する限り、バイセクシュアルなりトランスジェンダートランスセクシュアルなりというのは常にコミュニティーの中に存在していたと考えるのが妥当そうだとも思える。
アセクでゲイ(アセクが先にくる形で)とか、トランスでレズビアン(トランスが先にくる形で)とか、そういうアイデンティティーを持つ人の数も少しずつ増えてきているだろうし、トランスのパートナーなんてそれこそバイなのかヘテロなのかゲイ/レズビアンなのか決めろと言われてもちらりと困るという人もいるだろうし(困らない人もいるだろうけど)、そういうことを考えれば、せっかくの東京のせっかくのパレードなのだから、すでにコミュニティーの一員であったりこれからコミュニティーで知り合いをつくりたいと思っているかもしれないこういう人々、パレードにも参加したいと思っているかもしれないこういう人々の存在をきちんと含みこんだ名称にしようというのは、当然な流れではないだろうか。
で、実際に、ひびのさんのサイトでのやりとりなどを読むと、主催者の方もそのあたりの認識は共有しているようだし、実際問題批判に対してオープンであろうとしているように見える。レズビアンゲイパレードというのは、ある意味動員人数であるとかインパクトの問題であるとかを色々考えて、とりあえず今はこれで行こうということで決まった名称であるようだし。*3
わたくしにとって不思議だったのは、批判者であるひびのさんと、主催者代表の方と、どちらも、少なくとも公的には批判内容についてある程度認識を共有してcivilizedな形でやり取りをしている(ように見える)のに、この一連のやりとりにとても腹を立てている人が何人もいるようだということ。主催者を擁護して批判者を批判しているのだけれども、主催者の方で擁護が必要であるようには見えないし、何がそれほどに苛立ちをかきたてるのだろう。
中には、ひびのさんのアクティビストとしての経歴について批判をしている方もいて、これについては、わたくしは情報の持ち合わせが殆どないので、何も言うことができない。批判者が正しいのかもしれないし、間違えているのかもしれない。けれども、すくなくとも今回のやり取りに限定すると、ひびのさんの批判はパレードをつぶすためのものとは読めないし、そもそも一個人による批判でつぶれるほど基盤のないパレードであったとも思えないから、批判してパレードつぶしてどういうつもりだ!というような非難は、当たっていない気がする。
現実的に考えて動員数が多いのはレズビアン&ゲイという分かりやすい名称だよ、という意見もあって、これはそうなのかも知れないと思う。レズビアンとかゲイとかでさえほとんどまともに認知されていない現状でクィアだのレインボーだの言っても、何のこっちゃという人も多いだろうし、そうなると広くマジョリティ(「ストレート」の社会というのか)に訴えかけるという意味では、パレードとしての訴えが弱くなるというのは、あるかもしれない。レズビアンやゲイの直面させられている問題がちっともまともに認識されていない現状で、「クィア」とか「レインボー」とかいう、ポスト・アイデンティティ・ポリティクス風な名称は逆効果だという考えもあるだろう。*4
ただ、そういう意見にまぎれて「どうしてゲイやレズビアンが他のセクシュアル・マイノリティの面倒まで見なくちゃいけないんだよ」的な感想が散見されるのは、やっぱり違うとわたくしは思う。それを言ったら「どうしてヘテロな私たちがゲイやレズビアンのことを考えなくちゃいけないのよ」と同じことになってしまう。そもそもゲイやレズビアンはマイノリティなのだから、さらに他のマイノリティの面倒まで見ていられないということなら、そもそもマイノリティである女性はゲイのことなんて考えなくてもいいとか、そもそもマイノリティであるような人種・民族は、ゲイやレズビアンの権利なんて無視しても批判されるいわれは無いとか、そういう話になってしまわないだろうか。
問題なのは、ここでは、「そもそもマイノリティ」である「女性」という集団に常にレズビアンであったりトランスであったりという人々が存在してきたこと、「そもそもマイノリティ」であるような特定の「人種あるいは民族」の集団に常にゲイやレズビアンが存在してきたこと、「そもそもマイノリティ」であるような「ゲイやレズビアン」という集団に常にバイセクシュアルなりトランスジェンダー/セクシュアルなりが存在してきたこと、そういう歴史的な事実が、あたかもなかったかのようにされてしまっていることだ。これは、フェミニズムや人種差別反対運動などが散々経験してきたことで、ゲイやレズビアンの運動も、そういうところに一つ一つ異議を唱えてきたはずではないのか。
これは、「そもそもゲイやレズビアンのコミュニティもきちんと成立しているとは言いがたいのに、バイセクシュアルも入れろトランスも入れろといわれても手に余る」という言い方も同じことで、バイセクシュアルもトランスジェンダー/セクシュアルも存在しない、「明確にゲイ・レズビアンオンリー」のコミュニティなど(「コミュニティ」が成立していないなら、プレ・コミュニティでもサブ・コミュニティでもいいのだけれど)、あったのだろうか。
同性愛者が異性愛社会において受ける差別と、バイセクシュアルなりトランスなりがコミュニティーで認められていないという差別では、質が違いすぎて話にならない、というような意見にしても、法的な権利における差別とコミュニティーなりパレードなりでの認知における差別とでは、差別の質と深刻さに違いがあるのは確かだろうけれども、ここでもやはり、バイセクシュアルやトランスジェンダー/セクシュアルには法律上「同性愛者としての」差別を受けている人もいることが、まったく考慮されていないように感じる。それに、とりわけトランスの場合、下手すりゃ同性愛者よりはるかに法的・社会的な困難は大きいのではないかしら、とか。あ、それは自分でどうにかしろということかも。
「文句があるなら自分でやれよ」という意見が散見されたのにもびっくりしたのだけれども、これだって自分で自分の首を絞めるようなもんではないのだろうか。わたくしたちは法律に文句があるからと言って自分で法律を書くとは限らないし(それができる人がいればそれはそれで素晴らしいけど)、テレビや新聞での同性愛者の描写に文句があるからと言って必ずしも自分がテレビ局に勤めたり新聞記者になるわけではないし(それができる人が、以下同文)、職場での差別に文句があるからと言ってじゃあ自分で会社をつくればと言われても困る(それができる人が、以下同文)。だいたい、法律にもテレビや新聞にも職場にも少しずつ文句のあるわたくしのような人間は、どうすればいいのよ。
LGBTQIA、全部が同じ問題を抱えているわけではないし、常に一緒に行動できるものでもない、するべきだというのでもない。アイデンティティポリティクスなんて古臭いからなんでも全部一緒くたにしましょうよというのでも、勿論、ない。それぞれの立場で直面させられているそれぞれの問題や困難は勿論あるだろうし、それに抗議をしよう、その問題に取り組もう、というときに、他の問題にも抗議しろとか取り組めとか言うつもりも、ない。
でも、パレードなのよ。なんていうのか、政治的なアピールの場であると同時に、ああ他にもこんなに色々な人がいるのね、こうやってみんな一緒にいるとなんとなくわくわくして楽しいね、と感じて元気になりたい、お祭りの場でもあるのよ。普段だったら数人とか数十人とかでしか集まれない、少しずつ似たようなハズレもんが、数百人規模で集まれる、そこにパレードのわくわくがあるとわたくしは思うし、それこそパレードの醍醐味の一つなのであれば、ここはLGBTQIA、みんな一緒にやってもいいところなのではないかしら。実際、主催者の方もそういう発想があったから、レズビアンやゲイに限らず「みんなで」集まろうという呼びかけをなさっていたのだろうし。
で、だったら名称変えたほうがなんか集まりやすいなあ、名称変えませんか、という意見はまっとうなものだと思うし、主催者の方で様々な現実的な問題を考慮して最終的にどうなるかは別にして、その意見に対して主催者でない(と思えるのだけれども)人たちから上で書いたような批判が寄せられるというのは、とても不思議なわけです。実際に書かれたのとは別の、言葉にされない深い理由が、あるのかもしれないのだけれども。
ちなみに、個人的には、「バイセクシュアル」「トランスセクシュアル」「SM」などを入れたら、その後は「在日外国人もいれろ」となるだろう、わけわかんねえやそれじゃ、というような意見があって、胸が痛いわぁ。「在日外国人のゲイ」「在日外国人のレズビアン」「在日外国人のバイ」云々、にとっては、「在日」と「セクシュアリティ」とを切り離せない部分で問題が起きてくるのよ。「国籍」ってすっごいポイントなのよ。*5

*1:[ ]わけで、微妙に「生真面目」と見られない(というよりむしろ[ ]という顔を露骨にされる)ということはあるけれども、まあそれはそれとして

*2:少なくとも公的には、というのは、プライベートではバイ差別、トランス差別があります!ということではない。少なくともわたくし個人は「オトコの恋人がいる」ことを理由にレズビアンの知人や同僚から居心地の悪い思いをさせられたことはないが、一般的に個人的交友関係においてバイ差別・トランス差別が存在しないのかかどうかまでは、わたくしにはわからない

*3:その判断が正しいのかどうかの議論はわかれるだろう。私は将来的に続けていくためにも、できれば違う名称なら良かったかなとは思う。現実的な判断としてレズビアンゲイパレードという名称でなければ開催できなかったのだとすれば、それは主催者の責任ではないし、開催できたほうがいいに決まっているからどうしようもなかったのだろうけれど、それはそれで、東京のLGBTQ個人として、とてもさびしいことだとも思う。

*4:でも、それならLGBTIAくらいまでは最低限「アイデンティティ」として入れてもいいのにとは思うけれど。長すぎて駄目かしら、やっぱり。

*5:あ、でもですね、理屈としては「SM」までは「ヘテロ規範」(ヘテロセクシュアルじゃなくて)への異議申し立てという形で、いわゆるクィアですね、そういうジェンダーセクシュアリティにまつわる規範への異議申し立てという形で、いちおう便宜的には切れると思います。