パレード追加
なんだかうまくトラバできてない気がするのですが、こちらのこの記事、個人的にとても好きです。まあ、「愛し合ってるんです」は日本語婉曲表現として「性的な関係にあります」とほぼ同義に用いられているのかもしれませんが(って、それ自体がイケナイわ!という問題はとりあえずおいておいて)。けれども、「愛し合っている二人なのだから同性も異性もない」という(良くある)言い方が、美しいけれどもちょっとまずいところもあるのは、確か。愛のない性行為が同性間の場合に異性間の場合よりも「おそろしげに」表象されるという問題もあるけれど、突き詰めて言えば、「愛のない性行為」をひとしなみに悪いとする持って行き方それ自体が、おかしい。わたくしは個人的には「性行為」の定義および許容範囲が人とずれることがままあるので、双方が「何をするのか」について誤解なく了承しあってから性行為に及ぶのが結構面倒で、さらにそこまで性行為に興味がないために、好きでもない人と意図的な「性行為」をしようとはちょっと思えない。けれども同時に、相手によれば(これは「好き」ということとは少し違うのだが)たとえば「手が触れ合う」、それも手を握るとかじゃなくて鉛筆を渡すとかそういうときに、それだけで充分「性行為!」な気持ちよさを感じることのある人間でもあるので、愛のない性行為、そりゃあるだろうよと。しかも、「愛のある性行為」偏重の言説というのは、「愛のない(と一般的に言われている)性行為」*1に従事する人々、セックスワーカーから昔だったらそれこそマスターベーションをする人間まで含まれたわけだけれど、そういう人々への差別に直結することが多いし、逆に、「愛があるのだから性行為はあって当然」とか「性行為があったのだから(それが合意に基づくかどうかは無関係に)愛もあった。従ってその性行為には何ら問題はない」的な、どこでそうねじれましたか?というような言説とか(実際のレイプ事件にこのようなロジックが現在も使われているとはとても思えないけれども、たとえば表象作品の解釈などには、今でも時折平気でこういうものが出てくる)、そちらの方向にも雪崩れこむことがあったりするし。
*1:まあ、愛って何よってのはあるけれども、それはまたしてもおいておくとして