ぽすころな主体

嘘です。そんなたいそうな話(たいそうなのだろうか?)をしようというのではなくて、仕事の合間の逃げ8割な感慨です。しかもすごい時間的に今更ムード満載。

G★RDIAS(星の出し方を教わった)でのkanjinaiさんのこちらのエントリを拝読して、なんとなく気持ちはわかるわ!そうなのよ!な反面で、「ネイティブ/ノンネイティブ」という個人属性の問題とも違う部分があるなあ、と。

ブクマコメントで「オオモノ度の違いでは」という、なんとまあ元も子もない、けれども全くもってそのとおり、なコメントがあったけれども、それはもう本当に露骨に真実すぎて元も子もないので、というか、おそらくkanjinaiさんが仰りたいのは、「コモノ」同士どちらもたいしたことを言っているわけでもないようなときに、「にもかかわらず」どちらが発言しやすく、どちらがペースをつくりやすいか、ということだと拝察するので、それはそれでおいておくとして。さらに、そもそも日本語以外は英語しか理解できないわたくしは、国際会議といえば英語で行われるもの(あるいは英語通訳がつくもの)にしか出席できないわけなので、たとえばフランス語とか中国語で行われる(あるいは日本語で行われる)「国際会議」の状況を全く知らないのだけれども、少なくともノンネイティブがそれなりの数を占める「英語での国際会議」において、と限定した上で。

自分がオーディエンスの側にいる場合、正直個人的には、ネイティブより非ネイティブ(日本人を含め)の方が、わたくしにとっては、厄介なことが多い。より正確には、ネイティブ・非ネイティブを問わず、「きれいな」英語(まあ米語でも良いけれど)を話す人ではなく「なまりのある」英語を話す人が、「問題」なのだ(もちろんわたくし自身はこちら側に含まれるので、わたくし以外の非ネイティブにとっては、わたくしは問題のある=聞き取りにくいスピーカーになる)。

残念ながらわたくしの耳には、たとえばいわゆる「BBC英語」的な発音は比較的わかりやすい反面、労働者階級風のマンチェスター訛とかスコットランド訛(英語とも思えん)、あるいはインディアン訛やカリビアン訛、オージー訛のきついのとか、フレンチ訛などの英語は、ネイティブスピーカーであろうとなかろうと、わからない。困ったことに、「訛」がかかわる場合、スピーカーがかなりゆっくり話していたとしても、早口よりはまし、程度で、やっぱりよくわからなかったりする場合も、少なくない。

同じような感想を英語のノンネイティブスピーカーから聞くことは、結構あるように思う。もちろん今回kanjinaiさんが御出席になった特定の会議において、そういう問題は一切生じなかったのかもしれないけれども、kanjinaiさんのエントリから一歩外れて、「一般論として」国際会議での発言における「英語支配」について話をするならばこの問題はわりとクルーシャルで、結果として、「自分の英語にまわりがあわせるだろうと期待するな、わかりやすく喋れ」というと、微妙なことになってしまう。

つまりこれは、たとえば非ネイティブスピーカーの日本人であるわたくしがどのような英語を「英語」として教わってきたのかという、教育制度上の「正当な英語」の問題でもあるわけで、だからこそ、「わかりやすい=聞き取りやすい英語をしゃべってほしい」と言ってしまうと、結構きわどいラインに直面する。一歩間違えば、ノンネイティブにして「訛のある」わたくし達みんなにとって比較的わかりやすい「<訛>のない=英米の大都市部の中流階級あるいは一定の教育を受けた階層の」英語を話すよう、ネイティブもノンネイティブも鋭意努力いたしましょう、みたいなことになりかねず、そんなポスコロな。

もちろん、「簡単な英語で話してほしい」は場合によってはありだろうけれども、場合によってはこれも難しい。非ネイティブの研究者であれば、複雑なトピックについて「簡単な英語で話す」ことがデフォルトで要求された場合、そちらの方がむしろ難しい、ということもありえるのではないかと思う(ジャーゴンが使えなくなっちゃうのは、非ネイティブにとっては結構つらいような)。そもそも「非ネイティブがいるから<簡単な>英語で」というのは、かなりパトロナイジングというか恩着せがましいというか、わたくしだったら微妙に腹が立つ。

いうまでもなく、ここで腹が立つというのがそもそも「そんなポスコロな」であって、そこで腹を立てては、勝ち負けでいえば最初から大負けだ。けれども同時に、バイリンガルというほどではないけれども議論についていく程度には英語ができるノンネイティブは、しばしば、ネイティブ以上かどうかは別にしても確実にネイティブ並みに早口だ、という印象が、わたくしにはある(わたくしはそこまで英語ができないので、学会ではもっぱら、自信のなさから異常な早口で発表原稿を読みあげ、議論がはじまれば貝より堅く押し黙る、という最悪のパターンを、王道で堂々と歩むわけですが)。そして、「ノンネイティブのために簡単な英語にしようよ」と言われたら腹が立っちゃう気分と早口になっちゃう気分とは、おそらく全く無関係ではない。

さらに言えば、そういう国際学会でそもそもふとまわりを見渡せばノンネイティブである同僚研究者たちが英語でがしがし議論していたりする事態も普通で、その中で「ええと、英語ネイティブじゃないんでわからないのですが」と言いだすのは、結構勇気がいる。なんていうのか、「勉強してない」ことを曝すみたいで。あるいは、あら、ふんどし忘れたまま土俵にあがろうとしちゃったわ、大変、みたいな(自分でも良くわからない比喩)。ええ、そこで「勉強してなくてだめなわたくしね」と思ってしまうことそれ自体が大負けなのですよ、それはわかっているのですが、でもその場で自分ではついついそう思ってしまうし、そう思われてしまうのではという怖さをぬぐい去れない。だめなわたくし。

それは、「内容以前に言葉で見下されたら困るわ」とでも言うような「そんなポスコロな」なメンタリティではあるけれど、そういう危惧が全くの杞憂でないどころか、「どうせ雑魚」の立場でしかも主要使用言語におけるマイノリティだと、言葉でちょっとつまずいた途端に「ネイティブ・インフォーマント」の立場に押し込められかねない。でなければただの無視とか。そもそも、「これってどうなのよ」という文句からして、こちらが英語で(しかも先方が一定の礼儀と注意を払うような形で)言わなくてはいけない構造であるわけだし。そしてそれは、その場にいるネイティブスピーカーだけの問題ではなく、ネイティブ/ノンネイティブ(あるいは英語に不自由しない人と苦手な人)の双方を巻き込んだ言語をめぐる権力構造の問題として、そしてそのような構造によって傾斜づけられた双方の心理のあり方の問題としても、考えるべきなのだろうな、と。ポスコロなわたくしたち。

ちなみに同じブクマコメントで、kanjinaiさんの論じていらっしゃることはそのままジェンダーの問題につながるではないですかという指摘があって、心より賛同。まさに上の文脈において。

(ちょびっと追記)
というわけで、強く強く言うことが微妙にできないのですが、学生さんで英語ネイティブの方は、可能なら日本語でメールをくださるとうれしいな〜などと思います。なんか緊張するんだもの〜英語で学生さんに返事書くの<やっぱりダメすぎるわたくし。