とりいそぎ、感謝を。

こちらでもひっそり宣伝しておりましたクィア学会ですが、一昨日無事に設立大会が開催され、設立の運びとなりました。
季節はずれの台風による激しい風雨の中(八百万の神々がクィア集まりに怒っていたのか、それとも魅了されたのか。たぶん後者と思いなすことにします)、それをものともせずにお集りくださった皆様に、こころより御礼を申し上げます。結局300人ほどの方が大会と同時開催シンポジウムをあわせると4時間にわたる長丁場におつきあい下さり、さらに懇親会にも本当に多くの方に参加いただきました。
シンポジウムやその後の質疑応答の中でも「ええそれってわたくしは賛成しないわあ」とか「げ。その方向ってきちんと考えていなかったわまずいわ」とか、色々と触発される御発言があって、そのままそれを宿題で持ち帰っている状態ですが、逆に言えば、常に自分の考えていることを再確認する学会ではなく、集まりのたびごとに常にそういう「宿題持ち帰って考える」状態が続くような、そういう学会にしたいものだと、わたくしは思っております。
超個人的な感想を幾つか。
「何のためにものを書くのか」というような質問がシンポジウムの最初にあって、超個人的な事柄しか考えていない机上系のわたくしにはそういう質問に対する適切な答えって全く考えられないなあと思いつつ、その後もなぜかその質問が気になってずーっと考えていたのですけれど、故村山敏勝氏ではないですが「読んだから書く」というのか、わたくしにとって書くことは根本的には一種の反応だと言うのが(応答とかって格好良く言ってみたいところですが、どうも「応答」できているのかどうかには著しく不安が残るので)、一番適切な答えなのだろうと、思いいたりました。そんなところでも先達をこれっぽっちも超えられないどころか、ようやくその意味の片鱗が見えてきている程度なのだなあと、ちょっとへこみますけれども。
会場トイレは「男女別なし」「(いわゆる)ユニバーサル」そして「男女別」の三種類を急遽用意して、それに対しては伏見憲明氏から「男女別なしがいい事、というのが前提になっているとしたら、それはどうなのかしら」というような御批判も頂いたのですが、その「男女別なしトイレ」にて。この「男女別なし」をとりあえず急ごしらえするために、担当の人間は一生懸命男女別マークを覆って「お手洗い」のサインのみを出したりしていたのですけれども、それにもかかわらず、「(もともとは)女性用トイレ(当日は区別なし)」に入ったスタッフ(この人は男性)が「トイレ違ってますよ」と参加者にしかられたそうです。このスタッフはいかにも「外人さん」な人で日本語も流暢ではないので、おそらく参加者の方は親切に教えてくださったのだと思いますが、本人は「自分が言葉を理解してなくて、間違えちゃったの?」と焦ったそうです。難しいなあ。でもそういう事件が起きるのもちょっと「学会」っぽくて面白いかなとは思ったのですが。
総会にて、「学会の目的として(?ちょっとぼーっとしていたのでわたくしの記憶はビミョーに曖昧です)、社会貢献というのが必要ではないのか」という御指摘がありました。うーん、そうなのかあ。個人的には社会貢献っていうのが何をさすのかが良くわからないままに、安易に「社会貢献」の一語を入れてしまうことには、ちょっと抵抗があります。っていうか、わたくしの研究なんて社会に貢献しないだろ!と言われたら、「してるわよ!」といい募るのは結構大変です<それでも多分言い募りますけれども(生存本能)
ちなみに、id:june_tさんのこちらのエントリにもありますが、最初の開会の辞を読み上げる際の、「ビジン、あ、ビジンじゃなくてビジョンです(クレア・マリィ氏)」というのが、とてもツボにはまりました。いきなり冒頭からグッジョブでございます。

[追記]
昨日取り急いでいて、すっかり失念しました。
暴風雨の中ばっくれもせずお手伝いに来て一日重労働に従事して下さったボランティアの皆様(バスで9時間の道のりを来てくださった方もいらっしゃって、感涙)、会場を知り尽くした上で職人技としか表現しようのない迅速さと適切さで技術的側面を全面的にサポートして下さった表象文化論関係の皆様とプロの技をほぼ無償で提供下さった音声・調光室の方、そして呼びかけ人の皆さん(とりわけ自分の研究を横において驚異的な働きをして下さった院生の皆さん)、本当にどうもありがとうございます。
そして、かわされる言葉の半分も理解できないにもかかわらず、そして人ごみが何より苦手なのにもかかわらず、最初から最後までわたくしの目の届くところにいてくれたパートナーにも、感謝。「パートナーの人、なんかぼーっとして孤独そうですよー」「寂しそうですよー」「やばそうですよー」と学生さんたちが何度も心配してくれて、実際にまあちょっと孤独で寂しかったようですが、大会当日に限っては、パートナーがわたくしを必要としていたのではなく、わたくしがパートナーを必要としていたので。端から見ているとわからないのかも知れないですけれど。