笑って、笑って、君の笑顔がみたい

逮捕監禁致死:引きこもり支援施設代表ら逮捕 愛知県警
「引きこもり」の医学的とか社会学的とかの定義があるのかどうか、わたくし不勉強にして知らないのだが、要するに漠然と「家に引きこもりがちになってしまっていわゆる社会生活がうまくおくれなくなってしまう症状」を指すのだと考えればよいのかしら。
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Wikipediaなんかを見ると、引きこもりの定義が色々と引用してあるのだけれど、これを信用すると、[ ]
でも、この亡くなった青年がどういうタイプの「引きこもり」だったのかわたくしは知らないけれども、少なくとも[ ]
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そういう中で読むと、Act Against Homophobiaのページに掲載されている北丸雄二氏のメッセージは、ちょっときつい。

ホモフォビア(同性愛恐怖症)に関していえることは昔から同じです。
それは病気です。
フォビアとは病気なのです。
(中略)
もし、そんなあなたが、好悪に関しても発達過程にあるせいで自分を納得させるためにもどうしても騒がしい表明をしてしまわざるを得ない小学生ではない場合、そんなあなたはやはり病気です。まあ、少なく見積もっても情操障害か。
(中略)
ですから、ホモフォビア(同性愛恐怖症)に関していえることは昔から同じなのです。
それは,病気だ。でないなら、犯罪です。
悪いことはいいません。お治しなさい。一刻も早く。

これ、ホモフォビアの説明としても、ホモフォビアというタームの政治的インパクトを明確に確認しているという点でも、全く間違えていない、とわたくしは思う。わたくしが学生相手にホモフォビアというタームを説明するとしたら、やはり同じように、「ホモセクシュアリティが病気なのではなく、それに対する嫌悪こそ根拠なき恐怖にとらわれているフォビアという病気なのだという、立場を逆転させるパワーを持った言葉ですよ」と言うだろう。
それでもやはり、「病気です。少なく見積もっても情操障害。お治しなさい。一刻も早く」と正面きって言われてしまうと、「病気か、少なく見積もっても情操障害」と思われるパートナーと暮らす身としては、少したじろぐ。[ ]
誤解をうんではいけないので確認しておくけれど、ホモフォビアは病気だから「なおらないから放っておけ」と言っているのでは勿論ないし、ホモフォビアの説明として北丸氏のメッセージが的外れだと言うのでもないし、北丸氏に何らかの悪意があるとも勿論思わない。実際、北丸氏はメッセージの最後に、こう付け加えている。

上記の文章は「病気の人」たちを疎外しようとの意図で書かれたものではありません。むしろ、病者でもないのに「病者を騙る人」たちを炙るための文章であることをご斟酌ください。

わざわざ注釈をつけたところに北丸氏の思慮が感じられるし、「ホモフォビア」というタームを使って、そのパワーとインパクトを効果的に表現しようとするならば、これがぎりぎりの可能なラインかもしれないとは思う。
でも、たとえば、「男同士で利益共同体つくって、あなた達はオカマと同じ。ホモなんですよ」みたいなことを言っていた昔のフェミが、「これはゲイの人たちを阻害しようとしたわけではなく、ゲイでもないのに男同士でつるんでいる人たちを詰るための文章です」と注釈をつけたところで、やっぱりそれは違うだろ!と思うのと同じことで、「病気だ!悪い!なおせ!」と言われた後で「本当に病気の人のことぢゃないのよ」と言われても、微妙にしこりが残るのも、事実。
かといって、ならばホモフォビアというタームを使うなということかと言えば、それはわたくしは現状では違うような気がするし、ホモフォビアのタームをなぜ使うのかということになれば、北丸氏がパワフルに表現しているような「立場逆転!」というのがその理由なわけで、それではいったいどうすればいいのか、わたくしにも良くわからないのですが。
もしかすると[ ]
ちょっと前に良く流れていた大塚愛のSMILYという歌を、ご存知だろうか。さびの部分で「笑って〜笑って〜キミのえ〜が〜お〜がみた〜い」と繰り返される曲で、わたくし実はあの曲が強迫的に聞こえてやりきれないことがあったりする。もういいから、うるさい、黙れ、みたいな<横暴。
曲そのものがどうこうというより[ ]つらくなってしまうのだ。
上で言及した事件の被害者の青年や家族がどういう状況にあったのかわたくしは知らないけれども、「このままではどうしようもないから、とにかく何かを、今、やらなくては」という焦燥感がNPOに「引きこもり治療」を依頼した家族の側にあったとしたら、なんとなくその気持ちは分かる。だからこそ、その焦燥感につけこむような「治療」を強行した側には、強い憤りを覚えるのだけれど。