バイと呼ぶならバイとお呼び

今年も東京レズビアン&ゲイパレード、準備が公式に始まっている、ということをMyrielさんのブクマ経由で知る。勿論オーガナイザーの方たちはずっと前から(多分去年のパレードが終わってすぐから)、後片付けをし、収支決算をし、今年のパレードに向けて動きはじめ、と、やっていらしたのだろうし、ボランティア募集も始まっているんだっけ?(それは映画祭だった?)とにかく、本当にアタマが下がります。
パレードについては去年ちょびちょび思うところを書いたのだけれども、実は先日、本当に偶然にパレードの関係者の方(どの程度の関係者の方なのかまではちょっと知りません)とお話をする機会があったので、名称について直接伺ってみた<しつこいわよね
で、やっぱり名称は当面そのままみたいですね。将来的には色々と考えるところもあるとはみんな思ってるけれどもねとは仰っていて、その方の真摯さには全く疑念はないのだけれど、やっぱり微妙だわぁ。その方が仰っていた名称維持の理由というのは基本的には「ゲイとレズビアンという存在をアピールしていく、曖昧にしない」ということで、それはそれで勿論大切なのですが、それで消えちゃう人間はどうなるのかなあ、と。「名称変更しなければサポートしないっていうこと?」と聞かれて、「や、それはサポートはしますけれど、なんか居心地は悪いですね」とついつい答えてしまってその場できちんと詰めて話ができなかったあたりが、どうしようもなくへたれで、へこみます。
でも、その手の「あっちにつくか、こっちにつくか。二者択一で答えてみ」みたいな質問って良く考えてみるとちょっとひどいわ。某アメリカ大統領みたいなお兄さんだったわ、そういう意味では(嘘です、ごめんなさい、とても親切で礼儀正しくて丁寧な方でした)。
ええ、サポートしますよ。ってどうサポートするべきなのかわからないけれど、とりあえず前期にジェンダー系の授業も幾つかあるからちゃんと宣伝もしますし<授業で宣伝されて学生が行く気になるのかというところが非常に疑問だったりもするけど。
ただその時にちょびっと「やっぱり大変な思いをしてるのはゲイとレズビアンだから」という言葉があって、お酒の席だったから口が滑ったというか、そういうことなのかもしれないけれど、それはちょっとなあ。ゲイとレズビアンが大変な思いをしていないというのでは勿論ないし、わたくしのように一般区分としてはバイ系統(アセクかもだけど)でしかもパートナーが異性だったりすると、そりゃはるかに楽なわけですが、それでもやっぱりさらっとは聞き流しにくかったりする。トランス系の人というのは下手すりゃクローゼットのゲイやレズビアンよりも余程大変な場合もあるだろうし。バイなりアセクなりで同性パートナーという人もいるだろうし。
こういうことを言うと、とりわけバイとかアセクとかについては、「その人はその場合要するにゲイやレズビアンでもあり、同じ問題を抱えているのだから」というような意見が去年もちらほら聞かれていて、わたくしもそれに非常に引っかかるものを感じつつうまく言えなかったのだけれど、パートナーシップのことを考えていて、ちょっと気がついたというか<遅い
この前のエントリにも書いたように、わたくしが[ ]「それは同性パートナーがいたかもしれない潜在的可能性としての自分に対して不当な気がする」というものがあったのだけれど(「あくまでも自分中心だな」という御批判はあるでしょうけれど、ここではとりあえずご勘弁くださいませね)、それと同じことが逆にも当てはまるような気がする。つまり、[ ]、個人的なインテグリティというのか、そういうレベルで、どうにも居心地が悪いからだ。政治的主張とか、フェミとして、あるいはこういう分野で仕事をしようとしているアカデミックとしてのメンツとか、そういうこと以前に、「同性相手では成立しませんよ」という主張を分かりやすく前面に打ち出している制度を了承してしまうと、自分にとってそれなりに重要である一部分を抹消するのに自分が手を貸している気がしてしまう。
で、バイセクシュアルの人が社会的・政治的問題に直面するとしたら、それは同性がパートナーである時だから、ゲイやレズビアンとしてそれに対処すればいい、というのは、それと逆の形でやっぱり居心地が悪い。って、わたくしバイセクシュアルという自認はないのだけれど、でも、パートナーが女性であっても、お前はレズビアンかと問われたらきっとためらっただろうとは、思う。別に「誰がレズビアンか」というのはそれぞれの人が決めればよい話で、現状自分の恋人が女性であり現状自分を女性と自認しているから今はレズビアン、という人もいるだろうし、それはそれで別にかまわないけれど。
そう考えると、同性パートナーがいる故の問題があったとしても、「ゲイやレズビアンとして」対処すればいいとは思えない。しかも現実的な個人的な感覚として、たとえば結婚や配偶者ビザに関する問題に、わたくしは<あえて言うなら>*1バイセクシュアルとして」直面しているのであって、「レズビアンとして」直面しているわけではないのだし。
バイセクシュアル自認はない」と、ブログ上でも実生活上でも言い続けてきたわたくしですけれども、「バイセクシュアルアイデンティティ」を「あえて」re-appropriateしようかなと、ここに来て微妙に思い始めております。バイと呼ぶならバイとお呼び!くらいの勢いで。勢い弱そうですけど。

*1:ここ重要です