コメント

二つ上のエントリですが何度試してもコメントが反映されない(されているのかもしれないけれども、わたくしのPCでは見えない)ので、こちらにコメントを返します。

>pine treeさん

繰り返します。

1.伏見さんとの議論要請について

「やりとりを求める」と「やりとりを強要する」とは確かに意味が違いますね。わたくしがpine treeさんの先のコメントを拝読して、後者のような理解でいらっしゃるような印象を受けたので、ついそのまま書いてしまいましたが、これはわたくしの読み込み過ぎであったようです。お詫びして訂正します。

その上で、わたくしの理解をもう一度申し上げますと、
a.伏見さんが何度も繰り返して公開の場での議論を提案なさった
b.わたくしは実名につながる形で公開の議論をすることは御辞退申し上げたけれども、ただ辞退するだけというのはどうかとも思ったので実名でない公開の議論をお願いできませんかかという代案を出し続けた
という流れだったと思っております。

一連の流れの中でのわたくしにとっての最優先事項は、この議論の結果HNが容易に実名と繋がるような事態にならないこと、そして、HNで提出した議論についてはせめてHNでは責任をとって応答をすること、でした。

勿論伏見さんは「自分はHNでの議論はやらないよ」とお断りになれたわけですが(実際にそのようにお断りになりましたし)、少なくともわたくしは、ハンドルネームで書いているブログで一つの議論を出した以上、一切の議論をお断りしますと申し上げるより、どのような形であれば続けられるのかを明確にした上で議論の続行をお願いする方が、伏見さんに対してもブログを訪問してくださる方たちに対しても誠実であるように考えましたし、今もそう考えています。

そこに「やり取りをしたいという意向がある」とお考えになるなら、それは勿論、議論が可能ならお願いしたいという希望がないわけではありません。けれどもそれはあくまでも伏見さんからの御提案を受けての対応ですし、「HNでの議論でもよろしければ」という条件のもとでのことです。

それは明確にしてきたつもりですが、pine treeさんにそのことが御理解いただけなかったのでしたら、大変残念です。

2.論文について

これについても、「自分の考察について他の方の意見を伺う」ことと、「それを直接論文に役立てる」こととが同じではない、と申し上げることが、「二枚舌」というのは、わたくしにはちょっと理解しかねます。

以前書いたとおり、『欲望問題』について何かを書くとしたらそれはかなり異なった文脈でのことになると思いますし、伏見さんとのやりとりが「直接役に立つ可能性」は低いだろう、と思っていますが、そのことと、伏見さんとの議論があったとしてそれによってわたくしが学ぶことがないだろう、ということとは、全く違います。

そしてわたくしがそこで学んだことは、論文に反映されるかもしれないし、されないかもしれない。非常に間接的な反映の場合はわたくしはそれを一々論文では言及しないでしょうけれども、直接的な反映の場合は言及する。

けれども確かに、その場合伏見さんがそれを確認できる手段が現時点では保証されていない、というのは事実です。わたくしは上記1.のような理由で、ブログにアップしたものに対してウェブ上での議論を避けるべきではないだろう、と判断いたしましたが、その意味ではpine treeさんの仰るように、最初からわたくしの側からは議論を固辞するべきだったのかもしれません。

この点については、正直、まだ整理がつきません。(上記に書いたように、アップしたものについて議論を避けることは不誠実であるような気がしているからです。)

3.研究者同士のケースについて

ええと、はじめから実名で議論があったのであれば、勿論お教えします。今回のようなケースでも、相手の方を存じ上げていれば、あるいはコメントの流れがこのようなものでなければ、お教えしていたと思います。

以前のコメントでも書きましたように、あくまでも「今回のような経緯で(HNから実名に繋がるような形での議論をしましょう、そうでなければ実名を明かして欲しいという要請を、短期間に繰り返し受けて、煽られているような不安があり、実名につなげる情報を相手に渡して大丈夫なのか判断できない、という経緯で<これはあくまでもわたくしの側の心理状況ですが)」ということです。再度文脈を御確認いただければ幸いです。

4.つまり。

わたくしは、わたくしから「伏見さんに繰り返しやりとりを提案」したというよりは、繰り返しなされる議論の提案に対し、自分の可能な限りで不誠実ではない応答をしようとしてきた、と思っています。その点について、pine treeさんのコメントは、やはり誤読に基づいていらっしゃるのではないかと思います。

けれども、その応答において「繰り返し議論を提案した」というのは結果としては事実であり、その議論が論文にゆがめられた形で反映されないという保証ができなかった、ということも事実です。その点については、御指摘を受け止めつつ、考えてみたいと思います。上でも述べましたけれども、だからといって最初から議論を拒絶すべきだったのか、現時点ではわたくしには判断ができません。

たとえば一般のエントリとして何らかの議論を提示して、将来的にそのエントリに中身に関連した論文を書くかもしれなければ、そのエントリにはコメントやTBをつけられないようにすべきなのでしょうか。コメントやエントリが付いたとしても、実名を明かす覚悟がなければ、議論はするべきではないのでしょうか。それとも、そもそも論文に繋がるかもしれないようなことは、エントリとしては挙げるべきではないのでしょうか。コメントやTBをつけた人全てに実名を明かすわけにはいかない場合もあると思うのですけれども。
この点について共有された原則のようなものがあれば、教えていただければ幸いです。