選択する、ということ。

例によって後回しにしていた仕事がたまりすぎて書いている時間がないので、メモだけ。
堀江有里  「レズビアン」という生き方―キリスト教の異性愛主義を問う
とても良い本だと思う*1。「レズビアン」という「<名づけ>を引き受け、あえて名乗ることによって」「偏見に満ちたイメージへの抵抗手段を行使しつづける」ことを選択した*2とする著者の立場は、「押し付けられる<名づけ>とその意味からいかに逃れるか」を出発点としているわたくしとは、アイデンティティ・ポリティクスに対する姿勢がある意味真逆なのだけれども、それでも、アイデンティティをめぐる政治における著者のスタンスには、非常に納得の行くものがある。
それは、こちらのインタビュー姜尚中氏が語っている以下の部分とどこか非常に似通っているように、わたくしには感じられる。

アーレントの方はやっぱり、1つの民族の一員であるということを、1つの決意で選択する。それを選択するがゆえに他の民族と共存するというのを考える。そういう回路をある本の中に書いている。これはやっぱり自分が学生時代になぜ韓国というものを選んだのか――それに通じるものがあるんです。

1つの集団の一員であるということを「1つの決意で選択すること」、あるいはその選択を「避けることを選択すること」、あるいはそのいずれかの選択をせざるを得ないこと、そこにはそれぞれの状況があり、背景があり、そもそも「どの集団の一員であることを選択するのか/できないのか/せざるを得ないのか/してはならないのか」という問題もあるだろう。その中での選択が異なっていたとしても、それは共に歩めないということではない、ということを、あらためて感じさせてくれる本だったと思う。
いずれ時間がができたらもう少しきちんと書きたいと思っているけれども、「レズビアンとして」書かれた日本語の著作が圧倒的に少ないということを除いても、読む価値のある本だと思う。副題を見て「キリスト教の話かぁ、関係ないなぁ」などと思って読むのをやめてしまったら、勿体ないです。よろしければ、是非。

*1:実は著者を存じあげているのだけれども、献本いただいたわけでもなく、ここで褒めてわたくしの得になることは別に何もないし、褒めないと付き合い上まずいということもないです。要するに、素で、良い本だと思ってる、ということです

*2:堀江、p.87